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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会は、

讃美歌は、

讃美歌132番「めぐみにかがやき」

讃美歌第2編1番「こころを高くあげよう」(参加者のリクエスト)

讃美歌138番「ああ主は誰がため」

を歌いました。
(四旬節に入りましたので、今週から1954年版讃美歌を使用します)

今回参加者のリクエストで歌いました、

讃美歌第2編1番「こころを高くあげよう」

は、

讃美歌21-18番

にもなっています。



お祈りでは、まず参加した皆で旧約聖書の「エレミヤ書24章7節」を読み、私は、

「病やケガで体調を崩している方達のこと」

「17日に開催されるお昼のチャペル・コンサートのこと」

「今度の礼拝のこと」

をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の

「マルコによる福音書14章3~9節」

を学びました。


この箇所は、イエス様がベタニアで香油を頭に注がれる場面です。

3節「イエスがベタニアで重い皮膚病の人~香油をイエスの頭に注ぎかけた。」
4節「そこにいた~香油を無駄遣いしたのか。」
この女性は、“ナルドの香油”が入っている石膏の瓶を壊し、すべての香油をイエス様の頭に注ぎかけますが、そこにいた人々は、その女性が行ったこと(香油を注ぎかけた)に、「無駄遣いしたのか」と非難をします。

“ナルドの香油”は、大変高価な香油でした。
この香油は売れば300デナリオン(当時のローマ兵の1日の賃金が1デナリオン)となるので、この香油を売って貧しい人々に施すことが出来たのに、無駄遣いをしたと周囲は非難します。

6節「イエスは言われた~良いことをしてくれたのだ。」
イエス様は、この女性の行いを「わたしに良いことをしてくれた」と言われました。

この“良い”という行いは、道徳的の“良い”というだけでなく、“美しさ”も含まれるということでもあります。

イエス様は、“愛”という目線でこの女性の行いを理解していました。

“愛”は、香油を使ったという“浪費”という形で表されます。

イエス様はこの女性の行いが“美しい”と語ります。

その美しさに“愛”があります。
周囲から見ると、単に香油を使ったという“浪費”に見えますが、そこには愛が持っている“惜しまない”“時を選ばない”という“美しさ”が見えています。

この女性は、愛があることで、石膏の瓶を壊して香油をすべて使いました。

イエス様は、私たちを愛するが故に十字架で惜しまず命を捧げました。

利益や見返りを求めず、相手のために出来る限りのことを尽くすということは、愛が持っている力だと表すことが出来ます。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
(ヨハネによる福音書15章13節)

8節「この人は~埋葬の準備をしてくれた。」
イエス様は“葬りの準備”をしてくれたと言われます。

ユダヤでは、遺体の防臭のために香油を塗りますが、この女性がイエス様に香油を注いだというこの行いは愛の姿としてイエス様は受け取られました。

9節「はっきり言っておく~記念として語り伝えられるだろう。」
この出来事は、今後も語り継がれる“記念”となることを預言されました。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失っせず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
(コリントの信徒への手紙I13章4~7節)

「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
(コリントの信徒への手紙I13章13節)




日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。
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  1. 2018/02/15(木) 12:35:47|
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