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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨日の祈祷会

私が通う小松川教会で昨日行われた夜の祈祷会では、


讃美歌は、

讃美歌118番「くしき星よ」

讃美歌166番「イエス君は」(参加者のリクエスト)

讃美歌115番「ああベツレヘムよ」

を歌いました。


参加者のリクエストで歌いました「イエス君は (讃美歌166番)」は、

新聖歌141番「イエス君は」

にもなっており、歌詞は異なりますが、

讃美歌21-482番「我が主イエス」

聖歌88番「若草のまきばより」

カトリック聖歌288番「うるわしき主のみこころ」

になっております。



お祈りではまず皆で旧約聖書の「ナホム書2章1節」を読み、私は、

「就職活動中の信徒のこと」

「次回の礼拝のこと」

「病気中の信徒」

のことをお祈りしました。


聖書の学びでは、新約聖書の「ルカによる福音書2章22~35節」を学びました。

23節「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」神殿には他にも子供連れの親子はいたはずですが、シメオンはマリアの腕に抱かれたイエス様を見つけると、
28節「幼子を腕に抱き、神をたたえて言った」と、この出会いが、
25節「聖霊が彼にとどまっていた」
26節「お告げを聖霊から受けていた」
27節「“霊”に導かれて」
に記されている、聖霊の導きによりイエス様との出会いが成就したことを確信しております。

29,30節「主よ、今こそ~あなたの救いを見たからです。」聖霊が示された救い主を抱くことが許された喜びを表しており、シメオンはこの時を待ち続けていたのでしょう。

シメオンはイエス様を抱き上げたのは、直接触れることにより、神の約束が成就したことを見ることが出来たのです。

抱き上げられたイエス様を見ただけでシメオンは満足でした。

29節「この僕を安らかに去らせてくださいます。」シメオンは、長い信仰生活を感謝の内に終わることが出来る喜びで溢れました。

シメオンの死は、シメオンが歩んできた全てを今、引き受けてくださる方と出会ったということです。

“抱き上げる信仰”は、“理解”と“体感”です。

理解だけでは、信仰に力がありません。信仰がつまづくことになります。
イエス様に触れたという体感。この感覚が信仰を強めます。

礼拝においての聖餐式は、イエス様に触れる体感です。

イエス様が共にいてくださるということを味わう体感です。

35節「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」イエス様に従うことは、時として神のみ言葉に私たちの心を刺し貫かれる経験をします。

信仰は、痛みと不安を伴います。
それでも従い続けた時に、神から私たちへの愛の深さや豊かさを知ることが出来ます。




日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。
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  1. 2017/12/28(木) 13:36:32|
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