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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨日の祈祷会

私が通う小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、


讃美歌は、

讃美歌106番「荒野のはてに」

讃美歌第2編96番「いまこそ来ませ」(参加者のリクエスト)

讃美歌114番「天なる神には」

を歌いました。


参加者のリクエスト曲の「いまこそ来ませ (讃美歌第2編96番)」は、私がリクエストしました。

この讃美歌は宗教改革者のマルティン・ルターが作詞した曲で、新聖歌66番にもなっており歌詞が異なりますが、

讃美歌21-229番「今来たりませ」

にもなっております。



お祈りでは、まず皆で旧約聖書の「イザヤ書60章2節」を読み、私は

「クリスマスイヴ礼拝のリハーサルのこと」

「今度の日曜日に執り行われるクリスマス礼拝とクリスマスイヴ礼拝のこと」

をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の

「ルカによる福音書1章39~45節」

を学びました。



39節「そのころ、マリアは出かけて~ユダの町に行った。」
40節「そして~エリザベトに挨拶した。」
エリザベトには、マリアがなぜ訪問したのか理由が一切わかりません。

しかし、
41節「マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった」
44節「胎内の子は喜んでおどりました。」
エリザベトの胎内の子が踊り喜んだという出来事は、エリザベトがマリアがイエス様の母となる祝福と、イエス様の母となる方が訪れてくださったことの喜びの証となりました。

マリアとエリザベトの出会いは、同時にイエス様と洗礼者ヨハネとの出会いでもありました。

さらにエリザベトは、
45節「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」とマリアの信仰を称えます。
このエリザベトの言葉は、マリアに信仰の確信をさらに与えた言葉になりました。

神の計画を信じていくということには不安があったと思います。
マリアの信仰は、マリアの讃歌として残されました。

クリスマスを託された人々は弱さを持っています。
ヨセフとマリアはどこにでもいる人でした。
財産があるわけでも、特別な賜物を受け取った者でもありません。

それに、婚約中に子を宿すという、ユダヤの地で律法の世に生きることにおいて、これ以上立場が弱い存在はありません。

祭司ザカリアやその妻エリザベトも特別な人ではありません。
この2人は“神の前に正しい人”でしたが、高齢で子供が無い夫婦で、神の祝福から漏れた者と見なされる弱さがありました。

しかし、弱さの中の彼女らからの言葉は「この身になるように」「なんと幸いでしょう」と、信仰告白へ導かれます。

ここに“幸いな者”であると気付かせてくださったエリザベトとマリアの出会いがあります。

クリスマスは、世界が神の愛の中にある“幸いな者”であることに気付かせてくださる時です。




日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。
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  1. 2017/12/21(木) 11:20:21|
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