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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨日の祈祷会

私が通う教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、

聖歌500番「みことばなる」

聖歌135番「われらはきたりぬ」(参加者のリクエスト)

聖歌459番「きよいふみは教える」

を歌いました。

その中で、参加者からのリクエスト曲の「われらはきたりぬ (聖歌135番)」はクリスマスによく歌われる歌で、歌詞は異なりますが新聖歌96番と讃美歌第2編52番にもなっており、過去にハンドベルで何度か演奏したことがあります。



お祈りでは私は、

「今度の礼拝のこと」

「病気中の信徒のこと」

をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の

「ヤコブの手紙2章1~13節」

を学びました。

(以下もらったレジュメから抜粋)

1節「わたしの兄弟たち~人を分け隔てしてはなりません」と勧告が始まります。

2~4節でヤコブは「あなたがたの集まりに」、「身なりの立派な人」と「汚ならしい人」が入ってきたという具体例で表し、外見や身なりで対応に差別があればそこには信仰者としての罪(誤った考えに基づいて判断を下した)があるということを示しています。

5節「神は世の貧しい人たちをあえて選んで~受け継ぐ者となさったではありませんか」と、世の貧しい人を分け隔てることなく隣人として愛されるという神の御旨から離れる者となる警告を与えています。

ヤコブの集会には、多くの身分や国籍の人達が集っています。
身分や国籍の違いを超えた集会であり、ここにキリスト教会において、変わらずに示す神の世の姿を見ます。

8節のヤコブは「隣人を愛しなさい」という、イエス様が語られた最も重要な1つを実行しているのなら結構なことではあるが、9節の「人を分け隔て」をするのであれば罪を犯すことになり、律法により違反者とされると示している。

10節の「律法全体を守ったとしても、一つの点で落ち度があるなら、すべての点について有罪となるからです。」と律法を守らない者は、罪を犯す者・裁かれる者・違反者になると戒めています。

12節「自由をもたらす律法」キリスト者の言動の根底にある動機は、購われた喜びから来る力です。それをもたらす根源であるキリストの言葉を強制としてではなく、喜んで受ける姿勢であります。

13節「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。」どんな人にも分け隔てなく憐れみをかければ、憐れみがない裁きに打ち勝ちます。
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  1. 2017/11/09(木) 12:25:10|
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