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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨日は祈祷会へ

昨日の夜は、私が通う教会の祈祷会に行きました。


今回の祈祷会では聖歌の

聖歌591番「おそれなく近寄れ」

聖歌525番「かたりつげばや」

を歌い、参加者のリクエストでは、私が

聖歌233番「み神は城なり」

をリクエストしました。


この聖歌233番「み神は城なり」は、歌詞は異なりますが、

讃美歌267番・新聖歌280番「神はわがやぐら」

讃美歌21-377番「神はわが砦」

と同じ曲です。


聖歌233番の「み神は城なり」を実際に歌ってみると、「神はわがやぐら」よりも曲のテンポが遅く感じましたので歌うタイミングが難しかったです。



お祈りは、私は

「宗教改革500周年を迎えられたこと」

「土曜日のハンドベル練習のこと」

「日曜日の礼拝のこと」

をお祈りしました。



祈祷会の中で行われた聖書の学びは、新約聖書の

「ヤコブの手紙1章19~27節」

の学びを行いました。


(以下もらったレジュメから抜粋)

20節の「人の怒りは神の義を実現しない」の“怒り”は人間関係だけでなく、人と神との関係を無くしてしまうということを示しています。
“怒り易い人”は、感情に左右されて公正な行動が出来ず「神の義を実現出来ない」ことで、さらにそこからキリスト者によって立証されるべき「神の義の実現」を妨げていることを示しています。

21節は、あらゆる汚れや悪を捨て去らなければ御言葉と救いに預かることが出来ないということを示しています。

25節の「自由をもたらす完全な律法」は、ヤコブは“福音”を“律法”と表現しています。
“福音”は、それが神によって定められた生き方である限り“律法”であり、神が求められる最高の態度である限り「完全」であり、それが自分達を罪から解放し救うが故に「自由」な律法です。

26節の「自分を信心深い者だと思っている者」は形式的に、信者らしく振る舞い自分を欺くなら、このような人々の信仰は無意味であると示しています。

27節は愛をもって隣人を「世話する」こと、世の汚れから染まらないように「自分を守る」ことが記されています。
これが神の前に清く汚れの無い「信心」と結論しています。

教会が「話すのに早く、聞くのに遅く、怒る集団」ではなく、汚れた言葉を捨て去り、怒りを静め、神の御旨・御言葉を聞くことであることを望んでいます。
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  1. 2017/11/02(木) 12:50:25|
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