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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
444番「われにきかしめよ」
203番「わが愛する」
592番「神の子なるイエス」
を歌いました。



お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「エレミヤ書42章6節」を読み、私は
「土曜日に開催されるお昼のチャペルコンサートのこと」
「今度の礼拝のこと」
「礼拝後の聖歌隊練習のこと」
「病やケガで療養中の方のこと」
をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の
「フィリピの信徒への手紙2章1〜11節」
を学びました。

1節には、神の愛が既に与えられていることを聖霊の導きにより改めて知ることが出来ると“キリストによる励まし”・“父なる神の愛の慰め”・“聖霊による交わり”が与えられており、さらに“慈しみと憐れみの心”も、父なる神の本質から生じて既に私たちに与えられているとパウロは述べています。

既に与えられた神の愛により私たちは、悔い改めることを示され、その実践であるキリストにおける信徒同士の思いの一致となって現れることを大いに喜びとし、神が働かれた結果であると述べています。

3節以降では、“思いの一致”のために“へりくだり”を知ること、具体的には“相手を自分より優れている者として考える”・“他人のことにも注意を払いなさい”とパウロは勧めています。

思いの一致を阻止しているのが、“利己心であり虚栄心である”と、自分中心の考えであることに気付かされます。

6〜11節では、既に教会内で知られていたと考えられる“キリストの賛歌”の引用と言われています。
イエス様は“神の身分”・“神に等しい身分であった”。それは創造の前より神と共におられ、“在り方”・“本性”は神と等しいということです。
しかし、“自分を無にし”、神の姿に“固執せず”・“僕の身分”となり、外見上は全く私たちと同じ姿となって苦難を経験されました。
その姿こそ、“十字架に至るまで”従われたイエス様です。

イエス様は人としての全ての苦難を経験され、十字架に向かって歩まれました。
しかし、神は死を越えてイエス様を復活させ昇天されました。

“あらゆる名にまさる名をお与えになりました”
この名を知ることが出来た幸いは、何物にも変えられない喜びです。



日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。





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  1. 2020/02/13(木) 13:21:37|
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