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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

月に一度の聖書の学び会へ

今日は、月に一度木曜日に行われる聖書の学び会に行きました。


今回は、
“愛”
というテーマでの学びでした。



【聖書で用いられる愛】
旧約聖書:家族愛や友情・憐れみ・忠誠心
新約聖書:無償の愛・共同体の愛



【神から人への愛】
神の愛は、イエス・キリストの十字架によって既に完成されていること、それは私たちがまだ神と敵対していた時になされたことが示されています。
また、神の愛が注がれること(神との和解が成立していること)を示します。
信仰とは、神の愛を受け入れることです。
(参照聖書箇所 ローマの信徒への手紙5章1〜11節)

神から与えられた愛とはどのようなものか、またその愛をどのように自分の生活に適用するか、どのような賜物をどのように使おうとも、そこに愛が無ければ何も意味も無いとパウロは言います。
(参照聖書箇所 コリントの信徒への手紙Ⅰ 13章1〜13節)

神の愛を受けるまでは、私たちは肉の欲で生きていても、神の目でご覧になれば、死んだも同然。
愛は、“救い”や“恵み”に至る道になります。
(参照聖書箇所 エフェソの信徒への手紙2章1〜8節)



【人から神への愛】
神を愛する人(者)はこうなる、という述べ方が増えます。
これは、十字架の罪の贖いを知る時、神を愛さないという選択は無いという確信に基くと思われます。
(参照聖書箇所 コリントの信徒への手紙Ⅰ 8章3節)

神は私たちの愛を喜ばれます。
私たちが神を愛するということは、隣人を愛するということに繋がります。
(参照聖書箇所 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7〜12節)



【隣人同士の愛】
“隣人とは誰か”という問いに対してイエス様が、「サマリア人の例え」を話されたように、神を知る者は神の愛に倣って隣人を愛さなければなりません。
神を愛そうとする時や、神に従おうとする時に私たちは“隣人”に条件を付けることは出来なくなりす。
(参照聖書箇所 ルカによる福音書6章27〜36節)

神の愛をいただき、神を愛し、隣人を愛するというのは、具体的には“日常の生活”や“日常の隣人”を大切にし、丁寧に生きるということです。
(参照聖書箇所 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 4章9〜12節 )



【愛の観点から罪を知る】
神は、常に“愛する”と考えておられます。

主イエス様の真実の愛は、命さえも惜しまないものでした。それを知りながら、自分はそうしない、出来ないというのが私たちの姿です。
(参照聖書箇所 ヨハネの手紙Ⅰ 3章11〜18節)




参照聖書箇所は、新共同訳聖書を基にしています。





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  1. 2019/09/19(木) 18:06:00|
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