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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
623番「いつかは知らねど」
597番「沖へいでよ」(参加者のリクエスト)
472番「人生の海のあらしに」
を歌いました。

今回参加者のリクエストで歌いました、
聖歌597番「沖へいでよ」は、
“新聖歌345番”
にもなっています。



お祈りでは、まず参加者皆で新約聖書の「ヨハネの黙示録22章3,4節」を読み、私は、
「今日(6/27)の夜に秋田へ行くので、無事に行けること」
「秋田から東京に無事に帰ることが出来ること」
をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の
「ガラテヤの信徒への手紙2章15〜21節」
を学びました。

15節「わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません」
異邦人は神に対して悪事をしたので罪人であるという意味ではありません。
律法を持たないから、神の選民ではないからそこに罪があると語っています。
律法を持っているからこそ、ユダヤ人は救われたと信じています。
律法は神から与えられたものです。

16節「わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは律法の実行ではなく、キリストの信仰によって義としていただくためでした。」
律法を真剣に守ろうとすると、そこには決して実行することが出来ない、律法から救いに与ることが出来ない、もがき苦しむ自分の姿を見ることになります。

パウロは、2つの死を表します。それは、
“律法による死”
“キリストと共に十字架につけられて死んだ”
ということです。

20節「わたしが今、肉において生きているのは〜神の子に対する信仰によるものです。」
パウロの視界の中には、わたしのために十字架に架かってくださったイエス様の姿があります。
“キリストがわたしの内に生きておられるのです”

“わたしは、神の恵みを無にはしません (21節)”パウロは、イエス様の十字架の死と復活を、わたしへの愛だけでなく恵みとも捉えなければ、神から与えられている様々な恵みを本当に感謝し、その祝福の中を生きていくことは出来ないと述べています。

信仰生活は恵みを知ることにあります。






日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。





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  1. 2019/06/27(木) 13:04:48|
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