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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
621番「けがれとあらそいは」
529番「ゆきてつげよあまねく」(参加者のリクエスト)
604番「のぞみも消えゆくまでに」
を歌いました。

今回歌いました、
聖歌604番「のぞみも消えゆくまでに」は、
“新聖歌172番”
にもなっています。

参加者のリクエストで歌いました、
聖歌529番「ゆきてつげよあまねく」は、
“新聖歌437番”
“讃美歌453番「聞けや愛の言葉を」”
“讃美歌21-403番「聞けよ愛と真理の」”
にもなっています。



お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「エゼキエル書33章11節」を読み、私は
「今度の礼拝のこと」
「病で療養中の方のこと」
をお祈りしました。


聖書の学びでは、新約聖書の
「ガラテヤの信徒への手紙1章18〜24節」
を学びました。

パウロの証しは、以前の自分の活動ぶりを誇るために語るのではなく、自分からイエス・キリストの福音を受け入れるようなことは決して無かったことを再びガラテヤの信徒に対してはっきりさせるためのものです。
そのためには、神の特別な行為となるダマスコの途上での回心の奇跡が必要でした。

16,17節「わたしは、すぐ血肉に相談することはせず〜エルサレムに上って〜使徒として召された人のもとにも行くこともせず、アラビアに退いて」と、ダマスコの途上での回心の後、パウロはどのように過ごしていたのかは記されていません。

“それから三年後 (18節)”パウロはケファ(ペトロ)と知り合いになろうとしてエルサレムに上りました。
空白の3年間、パウロは何を考えていたのかということも記されていません。
また、15日間何を語り合ったということも記されていません。

3年間も1人でいたということに重要性があります。
神と自分だけの生活を過ごし、ペトロに出会ったことも、パウロが知ることが出来ない、復活前のイエス様の姿を知るためであったと思われます。

また、ヤコブとも出会いました。
使徒の条件としての、復活前のイエス様と歩んだ者という経験は、パウロは経験することが出来なかったことです。

20節「神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません」神から直接使徒としての働きを託された確信の言葉です。

神はパウロの証しを聞いてくださいます。
パウロは生き方全てが、神の栄光をあらわすためと思っています。

23節「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」パウロは使徒として生かされている今、この姿は神の御業以外にはあり得ません。

人にはどう思われようとも、どのように受け入れられても、パウロの足を止められるものではありません。
そこに神の御業を見た時にそれは事実となります。

キリスト者の交わりは、共に主の御前に自らの罪を示された者が、主の贖いの恵みにより今を生かされていることを認め合うことです。

最後には神と自分の関係が問われます。
そこには、人の思いは何一つ介在せず、神の御心だけが表されます。





日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。

※今回は、ハイデルベルク信仰問答の学びはありませんでした。





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  1. 2019/05/30(木) 12:51:14|
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