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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
394番「ひとりの御子を」
520番「ただ主を」(参加者のリクエスト)
424番「ただ信ぜよ」
を歌いました。

今回歌いました、
聖歌394番「ひとりの御子を」は、
“新聖歌88番”
にもなっています。

聖歌424番「ただ信ぜよ」は、
“新聖歌182番”
にもなっています。

参加者のリクエストで歌いました
聖歌520番「ただ主を」は、
“新聖歌427番”
にもなっています。



お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「エゼキエル書28章22節」を読み、私は
「土曜日のハンドベル練習のこと」
「今度の礼拝のこと」
「病で療養中の方のこと」
をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の
「ガラテヤの信徒への手紙1章1〜5節」
を学びました。

パウロは他の手紙にも挨拶文を記していますが、この手紙の挨拶文の中には、
“神によって使徒とされた”
“恵みと平和”
“御自身を献げてくださった”
というように使信が記されています。

使徒の定義は、
“イエス様と共に生活し、復活や昇天された時まで一緒にいた者”
であり、
“復活の証人として歩む者”
と使徒言行録に記されています。

パウロは、過去においてはイエス様を信じる者たちを迫害する者であり、イエス様とは同世代であったと思われがちですが、復活する前のイエス様との出会いは無かったと考えられています。

パウロには、ダマスコでの復活のイエス様の出会いが、
“人を通して使徒として任命されたのではなく、イエス・キリストとキリストを死者の中から復活させた父なる神とによって”
パウロは使徒として任命されました。

また、パウロが伝える御言葉は、
“イエス様は御自身を私たちの罪のために献げてくださったのです”
というように、パウロが考え出したのではなく、イエス様が既に十字架をもって示してくださった福音であり、
“わたしと一緒にいる兄弟一同 (2節)”
と同じ思いで伝えています。

ガラテヤの教会は、パウロが去ってすぐにパウロが伝えた福音から離れてしまったとされています。
離れていった人々は、パウロが使徒であることを十分に理解をしていなかった人々であったと考えられます。

手紙からはそれらの人物は特定出来ませんが、パウロの使徒としての地位や語られる御言葉について疑いを持ち、パウロを激しく攻撃していたことが手紙から読み取れます。

パウロが伝え、変わらない教会の福音は、
“主イエス・キリストの恵みと平和”
です。





日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。




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  1. 2019/05/09(木) 11:57:30|
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