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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、


讃美歌は、
讃美歌136番「血潮したたる」
讃美歌512番「わがたましいの」(参加者のリクエスト)
讃美歌142番「さかえの主イエスの」
を歌いました。

今回歌いました、
讃美歌136番「血潮したたる」は、
“讃美歌21-310番,311番”
“聖歌155番「いばらの針の」”
にもなっています。

讃美歌142番「さかえの主イエスの」は、
“讃美歌21-297番”
“新聖歌117番”
“聖歌158番「十字架にかかりし」”
にもなっています。



お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「エゼキエル書37章9節」を読み、私は、
「土曜日に行われる付属保育園の卒園式のこと」
「今度の礼拝のこと」
「病で療養中の方のこと」
をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の
「ヨハネによる福音書15章1〜10節」
を学びました。

イエス様は、“ぶどうの木”というたとえを用いて、“神の祝福と裁き”と“神の愛”がどんなものであるかを語られています。

1節でイエス様はご自身を“まことのぶどうの木”、手入れをする農夫を“父なる神”、つながっている枝を“あなたがた(5節)”とたとえます。

旧約聖書では、イスラエルは繰り返し“ぶどうの木”または神の“ぶどう畑”として描かれています。
参照聖書箇所
イザヤ書5章1〜7節
エレミヤ書2章21節
エゼキエル書15章・19章10節

“まことのぶどうの木”とは、どんな病気にもかからず、天候にも左右されず、永遠に良い実を豊かに結ぶ木です。
その木につながっている枝には、必ず良い実が実ります。
それでも“実らない枝”とは、実ることを拒み良い実を結ばない枝です。

農夫である父なる神の裁きは、1節“実らない枝”、6節“わたしにつながっていない人”と同じく取り除かれてしまいます。

イエス様につながっていながら“神の愛を実らせない”という不信仰な心は、“イエス様を知らない者”と同じ裁きを受けます。

“実らない枝”は、イエス様につながっていながら、イエス様の愛によって生かされていない生き方です。
“互いに愛し合いなさい”と、イエス様につながっている者が本来結ぶ実です。

「わたしにつながっていなさい(4節)」・「父がわたしを愛されたようにわたしもあなたがたを愛してきた(9節)」ヨハネが繰り返し伝えている神の愛です。
参照聖書箇所
ヨハネによる福音書3章16節
ヨハネの手紙Ⅰ 4章10節





日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。





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  1. 2019/03/14(木) 13:05:13|
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