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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
聖歌529番「ゆきて告げよあまねく」
聖歌298番「世にあるかぎり」(参加者のリクエスト)
聖歌588番「主とともに歩む」
を歌いました。

今回歌いました、
聖歌529番「ゆきて告げよあまねく」は、
“新聖歌437番”
“讃美歌453番「聞けや愛の言葉を」”
“讃美歌21-403番「聞けよ愛と真理の」”
にもなっています。

参加者のリクエストで歌いました、
聖歌298番「世にあるかぎり」は、
“新聖歌385番「主よ終わりまで」”
“讃美歌338番「主よ終わりまで」”
“讃美歌21-510番「主よ終わりまで」”
にもなっています。



お祈りでは、まず旧約聖書の「ミカ書7章18節」を読み、私は
「月に1回に行われる木曜日の聖書の学び会のこと」
「土曜日のハンドベル練習のこと」
「今度の礼拝のこと」
「病で療養中の方のこと」
をお祈りしました。



聖書の学びでは、旧約聖書の
「詩編1編」
を学びました。

詩編1編の1節は、「いかに幸いなことか」と始まります。

「幸いなこと」と4節「神に逆らう者」と、詩編はこの2つの存在を、150編まである詩編の中で繰り返し語っています。

1編は“幸いな者”の歩み、そして“神に逆らう者”が歩む道を対照的に表わしています。
「幸いなことか」という言葉は“真っ直ぐ歩む”という意味があると言われています。
何に向かって歩むのかを表わしています。

“幸い”とは、“神に逆らう者”・“罪ある者”・“傲慢な者”から離れることです。

罪から離れることの歩みは、「神に逆らう者の計らいに従って歩まず」神に逆らう者の言葉に耳を貸さないことから始まります。

次に「罪ある者の道にとどまらず」罪ある者のやり方を真似ることをしない。

そして、「傲慢な者と共に座らず」傲慢な者と共に嘲る者にならないことです。

人だけではなく、神に対して傲慢にならないことと伝えています。

“幸いな生き方”とは、2節「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ者」神はヨシュアに同じ言葉をもって励ましました。ヨシュアには“行く先々で栄え、成功する”約束が与えられました。(参照:ヨシュア記1章8節)

“神に逆らう者”が選ぶ道は、4節「風に吹き飛ばされるもみ殻」と表されています。
見た目ではわかりませんが、実りが無い状態で風に吹き飛ばされるような存在が無い状態です。

主イエス様も、山上の説教で“幸いである”と弟子たちに教えました。

何が“幸いである”のか、そこには“貧しさ”・“悲しさ”・“飢え渇く”と、本来は“幸いではない”ものも含まれています。

目の前の出来事や状態だけを見ていただけでは、“もみ殻”を見ているようです。

悲しみや苦しみにも消されない、何事があっても取り去られない神の祝福の事実を見た者の詩です。





日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。

※今回はハイデルベルク信仰問答の学びはありませんでした





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  1. 2019/02/21(木) 11:08:19|
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