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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
聖歌456番「栄えの王にます主の」
聖歌623番「いつかは知らねど」(参加者のリクエスト)
聖歌404番「イエスはなれを呼び給う」
を歌いました。

今回歌いました、
聖歌456番「栄えの王にます主の」
は、
“新聖歌361番”
にもなっています。

聖歌404番「イエスはなれを呼び給う」
は、
“新聖歌176番”
“讃美歌517番「我に来よと主は今」”
にもなっています。

尚、参加者のリクエストで歌いました
聖書623番「いつかは知らねど」
は、
“新聖歌465番”
にもなっています。



お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「イザヤ書7章14節」を読み、私は
「聖歌隊奉唱のこと」
「今度の礼拝のこと」
をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の
「テサロニケの信徒への手紙I 5章1〜11節」
を学びました。

人間は、まだ見ぬものや想像出来ない未来に対して不安を持つものです。たとえそれが再臨のように喜ばしいものであっても、素直に喜んで待つことは難しいのです。

パウロは、そのような弱い心理を見抜き、責めるのではなく励まします。

1節の「時」は“クロノス”で時間の長さを表し、「時期」は“カイロス”で定まった時を表しています。

4節「あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。」
5節「あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。」
“主の日は突然来るけれども、既にそのことを知り、備えて生活している信徒たちは、今はもう光の中にいるのだから恐れることはない”
と伝えています。

9,10節は、自分の罪におののく正直な信仰者に、神の愛に包まれていることを思い起こさせ、主が共におられることをもう一度自覚させるという思いやりにあふれた一文となっています。

9節「神はわたしたちを怒りに定められたのではなく〜主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。」
この言葉は既にあった信仰告白ではないかとの解釈もあります。
初代教会の兄姉に“定められた”祝福がありました。

わたしたちも信仰告白で、
「愛のわざに励みつつ、主のふたたび来たりたもうを待ち望む」
と告白します。

告白するわたしたちが、真剣に再臨を待ち続ける信仰の約束として、わたしたちのために死なれたイエス様がおられます。

慎みを持って既に眠りについた者たちにも、同じく定められた祝福があります。

わたしたちが誰かを励まそうとする時、このパウロのようでありたいものです。




日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。





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  1. 2018/11/29(木) 14:15:39|
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