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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
聖歌519番「世には良き友も」
聖歌621番「けがれと争いは」(参加者のリクエスト)
聖歌478番「救いをなし給う」
を歌いました。

今回歌いました、
聖歌519番「世には良き友も」
は、
“新聖歌426 番”
にもなっています。

聖歌478番「救いをなし給う」
は、
“新聖歌19番”
にもなっています。

尚、参加者のリクエストで歌いました
聖歌621番「けがれと争いは」
は、
“新聖歌464番”
にもなっています。



お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「エレミヤ書9章23節」を読み、私は
「先日のチャペル・コンサートが無事に開催出来たことの感謝」
「土曜日のハンドベル練習のこと」
「今度の礼拝のこと」
「礼拝後の聖歌隊練習のこと」
をお祈りしました。



聖書の学びでは、新約聖書の
「テサロニケの信徒への手紙I 4章13〜18節」
を学びました。

テサロニケの兄姉は、再臨はすぐに起こると思っていました。
自分たちが生きている間に必ず来るものと思っていました。

それでも、キリスト者として福音を信じ、再臨を待ちながら亡くなっていく信徒がいます。
再臨の栄光に預かることの出来ない者たちの存在を重く考えていました。

13節「希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。」
パウロは終末論を神学的に捉えるのではなく、心を患わしている信徒たちを安心させて励ましています。

当時の“死”は、“命の終わり”と考えられていました。
一般の民衆にとって“死”は絶望の悲しみでありますが、キリスト者には、「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。(14節)」と、死んでも復活のキリストと共に生きる希望があります。

元々バプテスマを受けるとは、「水に沈め、浸し、そこから起き上がる」という動作を表す言葉です。
バプテスマを受けることは、キリストに結ばれ一体となることです。

パウロは死者を“眠っている人”ととらえ、“眠りについた人々”と表現しています。
今は“眠っている”が、それは再臨の日に、体のよみがえりが約束されていると信じているからです。

目の前の死をどのように受け止めたら良いのか、現実に対してのパウロの励ましの言葉です。

既に起きた復活と、これから起こる再臨の間の時代にわたしたちは生きています。
これはテサロニケの信徒と同じ時代に生きていることです。

再臨の
“主といつも一緒に生きている”
これがわたしたちの命です。

キリスト者の人生の時間は、
“命から死”
ではなく、
“死から命へ”
と続くことです。








日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。





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  1. 2018/11/22(木) 12:22:08|
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