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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
聖歌498番「歌いつつあゆまん」
聖歌347番「いかにおそるべき」(参加者のリクエスト)
聖歌589番「めぐみの高き嶺」
を歌いました。

今回歌いました、
聖歌498番「歌いつつあゆまん」は、
“新聖歌325番”
にもなっています。
聖歌589番「めぐみの高き嶺」は、
“新聖歌339番”
にもなっています。
尚、参加者のリクエストで歌いました、
聖歌347番「いかにおそるべき」は、
“新聖歌311番”
にもなっています。



お祈りではまず、参加者皆で旧約聖書の「イザヤ書57章15節」を読み、私は、
「土曜日のハンドベル練習のこと」
「今度の礼拝のこと」
をお祈りしました。



聖書の学びでは新約聖書の
「テサロニケの信徒への手紙I 2章13〜16節」
を学びました。

13節「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。」
と、テサロニケの兄弟に語ります。

“わたしたちから神の言葉を聞いた時”とパウロは、テサロニケの兄弟が“人の言葉としてではなく神の言葉”と神に告知された言葉を聞きました。
それは、聖書に記されている言葉として神がパウロに語られた言葉を聞いてきたということになります。

パウロの伝道者としての自覚は、パウロ自らがエルサレムの教会から伝えられた事柄に、パウロ自身の思いを付け加えることも削除することも変更することも無く、そのまま伝えることです。

教会はどのような時代においても、聖書に記されたイエス様の十字架の贖いと復活と救いの完成と永遠の命を語り伝えてきました。

14節「キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。」
と、ユダヤの教会が地域や人種を越えて“神の言葉”に従う教会、信徒として存在しています。
“キリストの苦しみ”を知っている教会として存在していると語っています。

「倣う者」とは、“神の言葉”を受け入れることにより与えられる、外的・内的な信仰の“苦しみ”を経験している者であるということです。

新約聖書は、“イエス様の苦しみ”の意味を現しています。
それは、“キリストは十字架の苦しみを通して神の栄光に至り、また苦しみを通して栄光が教会に与えられる希望”であるということになります。

テサロニケの教会は、“キリストの苦しみ”を体験しています。
テサロニケは多様な思想の中にあり、同胞からの困難も覚えています。

それでも神の言葉が働いている、信仰に生かされている証であるとパウロは神に感謝して、テサロニケの教会の信仰を称えています。

15,16節ではユダヤ人はイエス様を殺しただけでなく、信じようとする者も妨げたとパウロは言います。
ユダヤ人の言動には、神の怒りがあると述べています。

神を本当に愛するなら、それは隣人愛として広がっていきます。





日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。





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  1. 2018/10/25(木) 12:29:52|
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