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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、
聖歌570番「雨をふりそそぎ」
聖歌589番「恵みの高き嶺」(参加者のリクエスト)
聖歌592番「神の子なるイエス」
を歌いました。

今回歌いました、
聖歌570番「雨をふりそそぎ」は、
“新聖歌420番”
にもなっております。
聖歌592番「神の子なるイエス」は、
“新聖歌342番”
にもなっております。
尚、参加者のリクエストで歌いました、聖歌589番「恵みの高き嶺」は、
“新聖歌339番”
にもなっております。


お祈りでは、まず参加者皆で、旧約聖書の「エゼキエル書47章9節」を読み、私は、
「土曜日のハンドベル練習のこと」
「今度の礼拝のこと」
「日曜日の礼拝後に伊豆の伝道所に行く信徒のこと」
をお祈りしました。


聖書の学びでは、旧約聖書の
「ホセア書13章1〜15節」
を学びました。

ホセア書13章は、目の前に迫る北イスラエル王国滅亡の最終預言です。

1節「エフライムが語れば恐れられイスラエルの中で重んじられていた。」
ホセア書では、“エフライム”と“イスラエル”は、ほとんど同義語として使われます。

752年〜740年の間、北イスラエル王国ではサマリアでメナヘム王、ギルアデでベガ王が統治していたということで、両方の名称で呼ばれていた可能性があります。

2節「今も、彼らはその罪に加えて偶像を鋳て造る」
と、北イスラエル王国の滅亡が確実になっても偶像崇拝は変わりませんでした。
「犠牲をささげる者たちよ、子牛に口づけせよ」
は、バアル信仰の礼拝の言葉とされています。

3節の“朝の霧”・“露”・“もみ殻”・“煙”と、いかにこの信仰が虚しいことかということを表しています。

4節以降は神の裁きの言葉です。
4節「わたしのほかに、救いうる者はいない。」
5節「わたしはあなたを顧みた。」
と、ここにも神の御心や救いの御旨が示されています。

13節には、イスラエルの頑なな心は“難産”に例えられます。
生まれる時を知りながら、生まれ出ない。
イスラエルの頑なさを神は痛みをもって語られます。

14節「死よ、お前の呪いはどこにあるのか。陰府よ、お前の滅びはどこにあるのか。」
裁きの最終宣言です。

この章は、イスラエルの上に迫りつつある破滅を死のイメージで描いています。
イスラエルの破滅と死とは、神の救いの歴史の終わりにあたります。

しかし、死を通してのみ、実は再生があります。

新約聖書においても、この原理には変わりがありません。
罪と死の刑罰は、イエス・キリストによって打ち勝たれます。

パウロは“コリントの信徒への手紙I 15章54節後半”以下で引用しています。
54節後半「死は勝利にのみ込まれた。」
55節「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
56節「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。」
57節「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」

十字架の死と復活の光によって、新しい光を与えられます。
光を与えられるには、イエス・キリストにしっかりと結びついていなければなりません。







日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。





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  1. 2018/09/20(木) 11:11:40|
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