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GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で昨日の夜に行われた祈祷会では、


聖歌は、

聖歌520番「ただ主をあがめて」

聖歌539番「見ゆるところによらず」(参加者のリクエスト)

聖歌521番「キリストにはかえられません」

を歌いました。


今回歌いました、

聖歌520番「ただ主をあがめて」は、
“新聖歌427番”
にもなっています、

また、聖歌521番「キリストにはかえられません」は、
“新聖歌428番”
“讃美歌第2編195番”
にもなっています。



お祈りではまず参加者皆で、旧約聖書の「イザヤ書62章11節」を読み、私は、

「土曜日のハンドベル練習のこと」

「今度の礼拝のこと」

「礼拝後のオープンチャーチのこと」

「西日本豪雨による災害の復旧のこと」

をお祈りしました。



聖書の学びでは、旧約聖書の

「ホセア書10章1〜8節」

を学びました。


北イスラエル王国のヤロブアム2世の時代、その間の偽りの繁栄に心を動かされている民に迫る、北王国滅亡の言葉です。

この預言は、9章後半の言葉と同じく、ホセアの身近の限られた人たちに対して語られた言葉ではないかと考えられます。

1節の“ぶどうの木”は、本来は神に繋がっており、豊かな実をつけるイスラエルの民を表す言葉として用いられます。

当時ぶどうの木は、神の手入れを拒み“伸び放題”です。
手入れが無くても実は実りますが、それは真実の神より受ける実ではなく、偶像崇拝によって受ける偽った実です。
豊かに受けられたことは、真の神から離れてゆくことを表しています。

3節“今、彼らは言う”
いかなる王でも、民は救えない。金の子牛も民を救うことは出来ません。

“偽り”(4節)
“嘆き悲しむ”・“取り去られる”(5節)
“辱めを受ける”(6節)
“滅ぼされる”(7節)
と、北イスラエル王国に、偶像崇拝の故に受ける神の裁きが示されています。

8節、神の裁きは、激しく耐えうるものはいません。
イエス様は十字架を担いゴルゴダに向かう途中で、嘆き悲しむエルサレムの女性に対して、この節の言葉
「我々を覆い隠せ」
「我々の上に崩れ落ちよ」
を引用して語られました。
(新約聖書ルカによる福音書23章30節)

ヤロブアム2世の時代の繁栄は、民の心を豊穣の神バアル信仰に向かわせました。
その後北イスラエルは滅亡へ向かいます。

ホセアはイスラエルの民と同じ現実を、一歩引いて見ています。
神の預言を通して本質を見ようとしています。

このことは不変であり、私たちの現実も神の目線で見た時に表面とは異なった神の本質があり、何を語られているのか、何が偽りなのかを絶えず示してくださっています。

「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」
(新約聖書ヘブライ人への手紙11章3節)




日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては、1954年版讃美歌)
を使用しています。

※次週(8月1日)の祈祷会はお休みとなります。





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  1. 2018/07/26(木) 10:51:29|
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