FC2ブログ

GLORYCROSS†Christian日記

クリスチャン・教会日記

昨夜の祈祷会

私が通う日本基督教団小松川教会で、昨日の夜に行われた祈祷会は、


聖歌は、

聖歌588番「主とともに歩む」

聖歌543番「この身をきよくし立たすイエスの」(参加者のリクエスト)

聖歌428番「尊き泉あり」

を歌いました。

今回歌いました、

聖歌588番「主とともに歩む」は、
“新聖歌355番”
にもなっています。

また、聖歌428番「尊き泉あり」は、
“新聖歌238番”
にもなっており、歌詞は異なりますが、
“讃美歌239番「さまよう人々」”
にもなっています。



お祈りでは、まず参加者皆で旧約聖書の「詩編27編4節」を読み、私は、

「土曜日のハンドベル練習のこと」

「今度の礼拝のこと」

「先日発生した大阪での地震による復旧や復興のこと」

をお祈りしました。



聖書の学びでは、旧約聖書の

「ホセア書7章3~7節」
を学びました。


北イスラエル王国の歴史は、陰謀と革命による王朝誕生と滅亡の歴史でもあります。

王朝が次々と出来ては滅ぼされ、時として目まぐるしい程に政権が代わりました。

対照的に南ユダ王国は、ダビデ王家の血筋が最後まで守られました。

ホセアが生きた時代の北イスラエル王国は、過去最大の領土と平安が与えられました。

しかし、政情は一変して強国アッシリアの脅威にさらされます。

親アッシリアの王が権力を奪い、滅亡の危機は回避されました。

ホセアが記した言葉は、民は謀反を企み、クーデターを決行するも滅ぼされます。

主は、
「燃えるかまどのようだ」(4節)
「燃えるかまどのような」(6節)
「かまどのように熱くなり」(7節)
と、その企みは、“燃え盛り”“熱くなる”人の罪に対する思いであると語ります。

7節の「ひとりとして、わたしを呼ぶ者はなかった。」
は、主(わたし)の言葉で終わっています。
北イスラエル王国の歴史を見れば、主に立ち帰り偶像礼拝を排除しようとした王も存在しました。
しかし、世代が代わるとまた偶像礼拝に戻ってしまいます。

新約聖書の使徒言行録で、ガマリエルが使徒達の宣教を指して、
「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」(5章38,39節)
と、他の議員達の行動を戒めます。

パウロは、このガマリエルに師事していました。

そのパウロが主の名を伝道する者として生かされます。

人の思いの虚しさと、神の計画の確かさを思わされます。




日本基督教団小松川教会の祈祷会では、
新共同訳聖書(日本聖書協会)
聖歌(日本福音連盟)
(時期によっては1954年版讃美歌)
を使用しています。
スポンサーサイト



  1. 2018/06/21(木) 11:05:52|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<今回学んだハイデルベルク信仰問答の範囲 | ホーム | 今月の小松川教会お昼のチャペル・コンサート>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://glorycross.blog135.fc2.com/tb.php/1010-0154eda3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)